ミャンマー国軍による軍事クーデターの発生から約4カ月。日本でも各地でクーデターへの抗議行動が行われています。大阪で抗議行動を続ける在阪ミャンマー人の小川モモウさんは、ミャンマー人の若者への支援も続けています。新型コロナウイルスの影響により、訴える機会が減る中でも大阪での抗議行動をリードし続けています。
有田崇浩(編集部)
小川さんは、1988年のミャンマーでの民主化運動を経験した後に来日、日本で良縁に恵まれました。以後は、大阪市内で旅行業に携わるかたわら中小企業の国際化などを支援する「中小機構支援アドバイザー」として活動しています。近年は、生協とのつながりから在日ミャンマー人の若者の支援にとりくみ、技能実習生の通訳や入管での手続き、就労ビザ取得のサポートなども続けてきました。
小川さんは、2月1日の軍事クーデター発生以降、慣れないデモ申請などに戸惑いながらも、大阪で行われる抗議集会やデモをリードしています。
「周りは若い子たちばかりで、みんなの『訴えたい』という思いに応えなければならなかった。大阪での集会やデモの警察申請は私が主になってやらなければならなくて…」
大阪の在日ミャンマー人が抗議行動を始めたのが同7日。大阪城公園に若者を中心に約400人が集まりました。この日は神戸でも600人が集まり、関西で1000人が抗議の声を上げました。以降、ほぼ毎週、抗議の集会やデモを開催し続けてきました。しかし、大阪で新型コロナウイルスが急拡大し、緊急事態宣言が再発出された影響で4月からは街頭で訴えることが困難になりました。
「在日ミャンマー人の多くは留学生、技能実習生、エンジニアなどの若者。クーデター発生後はみんなから笑顔が消えてしまった。今はそのつらさや怒りをどこにぶつけていいか分からず、若者たちはストレスを抱えている」
5月に予定されていた大規模な抗議集会も中止を余儀なくされました。
「帰りたい」の訴えに
「どうしても帰りたい」
5月のある日、ミャンマー人留学生の男性が小川さんに吐露しました。
この男性は、兄のように慕っていた親友が国軍によって殺害されたのだといいます。国軍への怒りを母国での抗議デモで直接ぶつけたい思いからでした。小川さんは男性に「待って。今帰るなんて絶対に無理だよ」と諭しました。
「今はコロナの影響もあるので仕方ないけれど、みんな抑えることができない思いがある。若い子たちとはジェネレーションギャップがあるけれど、みんなのつらい気持ちと私自身の母国を思う気持ちは一緒のもの。国軍のクーデターが終わるまで、どんな形であっても抗議の声を上げ続けなければならない」と小川さんは力を込めます。
こうした中で小川さんは、ミャンマーで民主派が樹立した「国民統一政府(NUG)」を日本から支援していく任意団体「MNSO(Myanmar Nationalities’s Support Organization)」を全国18市の在日ミャンマー人と結んで立ち上げました。会費などを使った資金面での支援や現地のNUG関係者とのオンラインでの懇談などを続けているといいます。在日ミャンマー人の若者にもこうした形での支援を呼びかけています。
「日本政府は、ミャンマー国軍との『独自のパイプ』を強調していますが、私たちが訴えたいのは、民主主義を取り戻すためにもNUGをミャンマーの正式な政府として認めてほしいということです」
日本の支援が必要に
小川さんは、在日ミャンマー人の若者への食料支援のとりくみも計画しています。在日ミャンマー人は留学生を中心に、コロナ禍によって大きな影響を受けています。アルバイトも飲食業やコンビニが中心で、仕事の減少により、学費や食費、家賃の支払いが困難になっている若者が多いのだといいます。こうした若者を対象に今月には食料支援を実施予定です。
「留学生や技能実習生はただでさえ工場での仕事や貧困でつらい思いをすることが多い。母国で軍事クーデターが続いているとなると、二重のつらさを抱えることになる」
こうしたとりくみを行う中で、在日ミャンマー人の若者を支えていきたいと強調します。
小川さんは5月3日に大阪・ミナミ平和委員会主催のオンライン学習会でミャンマー情勢を報告しました。全国各地の市民と交流し、「こんなにたくさんの日本の人が関心を持ってくれたことに感動した」と小川さんは話します。
「私たちはミャンマーのクーデターがこんなに長期化するとは思っていなかった。まだまだ国際社会の国軍への圧力が足りないと思う。ミャンマーの民主主義と人権、若者の笑顔を取り戻すためには国際社会、とりわけ日本の皆さんの支援が必要です」
『平和新聞』5月25日号掲載
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